文字を書こうと思う。
最近の東京ときたら、春を楽しむ間もなく日中には夏が訪れ始めている。夕方になって、あたりが暗くなっていくころに徐々に空気がピンとはっていくのが好きだから、今はまだ気にはしない。鶏肉を煮込もうか、ビールも買って帰ろう、そんなことを考えながら少しだけひんやりとした風を味わうことができる時期の、なんたる短くなんたる貴重なことか。私が1年で愛することのできる気候というのはほんのわずかなものだ。いや、誰しも経験あることだと思う、冬になれば夏をも恋しく思うことができるわけだが。その季節のまっただ中にいてその季節を愛することができる、ということが非常に稀なのである。どのようなことでも私はそうだ。記憶を美化したり、未来を期待したり、現時点での自分の状況や幸福度や浅はかさなるものをどうにもうまく感じることができない。大抵はあとだ。現実に対する感覚がマヒしていると言われればそうであるが、考えようともしていないのもまたその通りで、愚痴症であるというのも全く納得できる。夏は暑い。冬は寒い。恵まれている環境にも愚痴をこぼす。愛されているのに愛され足りないと思ったりする。しばらくたって、それがなんとも馬鹿げていること、贅沢なこと、また美しいことに気づく。情けないことである。私は今をしっかりと感じることのできる人を尊敬している。未来を信じる人よりも尊敬している。そしてこれを考えているとき、私はなんだかとてもひどい別れを経験しそうだと思う。
ちょっとした文字列だ。